昔からある民家。角の家は昭和50年前後に無くなり13年間ほど駐車場となっていました。平成7年前後にプレハブの高取新天街ができ8店舗ほどのお店が営業をしていました。現在(平成12年)はパチンコ店の駐輪場になっています。
民家の右側には氷屋さんがあり燃料やお花を販売していました。
20年間空き地となっていた土地と右隣の民家とともに現在はパチンコ店、レディラックがあります。パチンコ店建設当時は、反対運動も起こり建ちはじめるまでかなりの時間、その部分は空き地となっていました。
1階部分はサカグチ、2階以上は東和高取ホームズ。この部分は、つ和ストアや軽食屋さんの味楽というお店がありました。
その隣は理容マルト。今は向かいの九興マンションで薬屋さんをしていたミカサ薬品さんが、床屋さんを廃業して建てられたビルの1階に移転し現在も営業しています。
このころのビル(西新ハイツ)は、さすがに目立つ存在でした。
が、今は見過ごしてしまうほどビルだらけになりました。今の靴流通センターの場所は最初、紳士服を扱いその後今でいうコンビニ(ユアーズ)になりゲームセンターになり現在に至っています。その左側には、メガネ屋さんがあり右の愛眼と同業さんが頑張っていました。
写真奥(左)、まつおサイクルやつなやミート、ケーズオーブンのビルとフラワーボックス、ラ・スターラなどが入っている伊佐ビルまでは、白壁造り、格子戸の古い家が続く昔ながらの雰囲気を残し、昭和と言わず江戸時代からの佇まいが20年ほど前まで健在でした。今のコットンショップ・コージさん辺りにはろばた茶屋がありその後、うどん屋さんがあったと記憶しています。
この辺りから藤崎商店街に入ります。
とらや家具店や化粧品店のマリヤは変わりなく商いを営んでいます。その隣には当時マルショクがあり深夜まで営業していました。
個人的にはこのマルショクのレジには西南大のお兄ちゃん方がバイトをしていて金額をはじくと、商品をベルトコンベアにおもむろに置き、その商品は「ベルトに流されて自分らの待つ所まで自動的に集まってくる」という仕組みが痛く感動したものでした。
マルショクが撤退したあともくだもの屋さん?か八百屋さんなど数店がそのまま営業を続けていました。その後やはりビルとなり、TUTAYAが入ってきました。
角は、雷寿司さんで2階には当時鹿鳴春があり当時は結構お世話になりました。
その隣には仙ちゃん食堂とマサミ美容院がありました。
現在は、さかえ屋と2階には別の美容室が入っています。



この商店街のパースは藤崎通り商店街連合会(高取商店街・藤崎商店街・杉屋商店街)の伊佐五平氏(当時、専務理事)が変わりゆく町並みを後に残しておきたいとの依頼により、昭和55年讀売理工学院 手島教授の指導のもと学生数名の方が制作したものです。
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| 高取昭和地図・南側 |










